History

未来のピースができるまで② FPC(フレキシブルプリント基板)材料の開発(後編)

左から
藤田 秀一(常務執行役員 イノベーション推進本部 副本部長)
北 和英(元技術管理部 統括)
荻野 満(元電子材料製造技術部 執行役員)

 「未来のピースができるまで」では、当社がこれまでに生み出した“未来のピース”を取り上げていきます。ふだん知られることは少ないですが、当社は、世界に誇る日本発の未来の技術を開発しています。シリーズ第2回は、有沢製作所の中核事業であり、スマートフォン用で圧倒的な世界シェアを誇る、FPC(フレキシブル基板)材料開発の歴史と、“つながる未来” について語ります。

携帯電話から海外市場展開が急加速

クルマからカメラ、ハードディスク、そして世界最小・最軽量のハンディーカメラまで支えています。

藤田:そうですね。お客さんの要求が別の方向へ行くこともありました。お客さんが何に使うかによって求められる特性が変わりますから。その要求を聞いて、技術はそれに基づいて開発していくことになります。

北:例えば、折りたたみケータイが流行ったとき、当社のハードディスク用のフレキは横展開もできますというデータを提示したことで、また売れました。その時期は、お客さんが国内から海外に広がり始め、海外製の折りたたみスマートフォンに当社のFPC材料を採用してもらうことができました。韓国市場を含め、海外展開が本格化しましたね。

携帯電話で世界展開となると、生産量も桁が違いそうですね。

北:そうですね。お客さんも増えて、売り上げが一気に伸びていくという感じでしたね。2004年頃です。ちょうどリアプロ向けのフレネルレンズ事業の拡大期と重なりました。そこでガーッと全社的に売り上げが伸びて、地元では「有沢バブル」という言葉が生まれました(笑)。

荻野:世の中全体で、ポリイミドフィルムが全然足りないという時代でした。営業は相当に苦労したと思います。というのは、お客さんにお断りしないといけなくなったからです。「すいません、もう売ることができません」と言わざるを得ませんでした。それだけ広がったということです。あのときは塗工機が2年ごとに増えていきました。

「塗る技術」の拡がり。FPCから半導体まで、独自技術で選ばれる

藤田:その頃、FPC用途以外では半導体向けのOEMの仕事も入ってきました。半導体用の接着フィルムがあって、そのお客さんは接着剤を作って販売するのですが、塗工機を持っていなかったため当社に声が掛かりました。これはコーティングができればすぐに売れるし、お客さんもどんどん広がるという状態でした。パソコンブームの時代には、ハードディスク向けのFPC材料を作りつつ、半導体向けのOEMの大型案件もどんどん入ってきました。

 FPC材料の需要が拡大していくわけですが、そこで有沢製作所が選ばれる理由とは? 

藤田:「塗る」ことに関して、当社には技術の蓄積がありました。コーティング技術をすごく磨き上げていたのが大きかったと思いますね。だから仕事が来たときに比較的楽に入っていけた。おそらく塗るだけだったら他のメーカーでもできたと思いますが、当社にはキャパシティがあって、塗りの技術と品質管理のノウハウを積み上げていたところが強みだったと思います。特に、「薄く均一に塗る」という技術が他社よりも勝っていた。半導体に近い材料だから、異物混入などの欠点に対してものすごく要求が厳しい。クリーン度を高めて、薄く均一に塗ったFPC材料を作ることが当社の強みでした。

バブルの終息と、スマートフォン市場展開へのターニングポイント

でも、「有沢バブル」が終わってしまった。FPC材料の需要が突然減ったのですか?

藤田:最初にリアプロジェクションテレビがなくなりました。そして折りたたみ携帯がなくなった。このまま事業が全てなくなるのではないかという心配をしました。そこに追い打ちをかけるようにリーマン・ショックが来た。あのときは苦しかったですね。会社全体で赤字が続きました。

荻野:有沢バブルの時期はフィルムと銅箔の間に接着剤を塗っていた(三層基板)のですが、実は2000年ごろから二層基板(1)を作り始めていたので、その後スマートフォンに採用されることになりました。うちは次のターニングポイントが二層材だと考えていて、それを作り始めていました。ポリイミドに直接銅箔を貼るのが二層材なのですが、熱や薬品に強い。
(1)二層基板:接着剤を使わない銅箔とポリイミドで構成された基板

それは、買ってくださる方がいない中で開発を始めたのですか?

荻野:先行メーカーはいましたが、当社も「二層材を持っていないといずれ困る」と思い、開発を始めました。しかし、先行メーカーとは違う方式で作りました。

藤田:それまではいかに良い接着剤を作るか、その配合というのが競争軸だったのです。当社の優位性は接着剤にありますが、将来、接着剤のいらない二層基板が主流になってしまったら、今までの競争力がなくなってしまう。すると今度は、競争軸が違うところへいくことになって、開発部門は苦労しましたね。

二層基板を作り始めたことが、次のスマートフォンにつながるわけですね。

北:そうですね。もし二層基板を作っていなかったら、FPC材料はやめていたかもしれないです。私たちも最初はよちよち歩きで、技術は確立できてないし、品質の良いものを作れていなかった。サンプルを出して、ダメ出しをくらって…。それでもお客さんは諦めずにずっと付き合ってくれました。おかげで当社のレベルも少しずつ上がり、やっと二層基板が採用になった。ちょうど第2ベンダーを探している基板メーカーがあって、そこに採用してもらいました。

超大手ブランドのスマートフォンにも採用が決まったのですよね。

藤田:そうです。あのトップブランドのスマートフォンに、初めて当社の二層基板が採用されました。その頃は1つのテーマをチームでやる形にはなっていたのですが、納入期限に間に合わせるために、開発メンバー3人で、3交代制で対応しました。24時間を3で割って朝番、夜番、深夜番と役割分担することで、24時間ずっと開発を続けました。製造部門だとそういう体制は普通にありますが、技術部門でそんなことをしたのは開発が面白かったからですね。当時は自分たちも若かった。そんな勤務をしながらも、夕方はナイタースキーに行き、帰ってきてまた仕事をすることだってありました。当時は仕事にも遊びにも貪欲でしたから。

顧客ニーズを超え、未来を予測して自ら創り出す

そもそも開発というのは、顧客から作ってくれという話が先にあるのですか、それとも自社が顧客に売り込むために作るのですか?

藤田:今まではお客さんからの要求に応えて開発していることが多かったと思います。しかしFPCの世界も成熟してきたので、今は私たちの方から時代を読んで、開発のロードマップや技術ロードマップを作って提案するということが多くなりました。例えば、通信規格が今4Gから5Gになりましたけど、当然次は6Gになりますよね。6G用の材料はどんなものかとか、スマートフォンのカメラの画素数が上がるため、幅を変えずに接続する回路を増やしたいはず。ということは、もっと細い材料も要るよね、などなど。

きっとこういう需要が出てくるだろうと予測して、何年も先のものに対して研究開発を進めています。当然、競合社も同じことを考えているわけで、常に競争です。それも激しく。常にアンテナを張ってお客さんと会話し、要望を引っ張り出さないといけない分、今の方が大変かな。また私たちの競合社が海外、たとえば台湾とか中国に出てきたので、価格競争も激烈になっています。

スマートフォン以外に、この基板が活用される未来を何か想定していますか?

藤田:スマートフォンやタブレットの業界はどんどん価格競争が激しくなっていくだろうから、今後開拓していきたい業界はやはりクルマですね。例えば、EV用の制御基板などです。自動車はどんどん電気製品になってきている。FPCの材料をそこに組み込むという仕事を探しています。あとはヘルスケアですね。たとえば最新の医療機器に入っている基板とか、カテーテル内のカメラの基板とか。でも量だけ考えたらクルマの方が圧倒的に期待できます。もちろん、求められる特性は全く変わってきますが。

藤田:でも、うちの開発チームは本当に優秀で、お尻に火がつくと、しっかりとやり遂げてしまいます。開発担当者はモチベーションがメチャメチャ高いので、お客さんの要求に対して「できません」とは言いません。昔から当社の技術部門の文化としては、お客さんに「こんなのできる?」と言われたら、いつまでに試作して出しますと言ってしまいます。本当は難しいなと思っていても、きっと何か出せるはずだと思ってしまう。多分それが有沢製作所のDNAだと思いますね。

できないと言わない、というお話はすごく印象的ですが、一体なぜですか。

北:やっぱり、先輩の姿を見て育ってきたからでしょうね。できないとは言わず、必死になってやっている先輩たちを見てきましたからね、入社した時からずっと。「有沢さんでは無理じゃないか」って言われるときがあるのですが、逆に燃えますね。他社ができないならなおさらのこと、私たちが作ってやるぞという気持ちになりますね。もちろん課題をもらったときにそれを一人に負わせるという文化はないですよ。チームの中で、情報も苦労もみんなで共有して、周りのサポートやアドバイスを受けながら最後までやり切る。そんな雰囲気が当社にはずっとあると感じています。

そういう社風は、やはり特別だと思いますか?

荻野:上越ならではかもしれないですけど、冬は帰る際に、大雪で車を出せないときがよくあります。その時に自分の車だけ雪かきしてさっと帰る人はいません。自分の車が終わったら、次は隣の車をやろう、一緒にやろうと1台ずつ皆で雪かきをしますが、それが自然とできる。そういう助け合いの精神があると思います。すごく雪が降る上越だからこそかもしれませんが。

藤田:あと、当社には技術の表彰制度がありますが、個人の表彰はしません。技術そのものとか、チーム全体を表彰します。だから一人で仕事を抱え込むようなことはあまり意味がありません。例えば「この新製品を作って売れました」となったら、その利益の何%を開発者に還元するという制度がありまして。3人で開発したなら、一番頑張ったよねって人には70%を渡す。もう一人は20%、私はちょっとしかやってないから10%という感じで。3人が話し合ってその割合を決めます。そういった制度も助け合うという文化を後押ししているのかもしれません。

最後になりますが今後の展望などはありますか?

藤田:私たちのFPC用の材料は、いつまで事業として継続できるのだろうかという怖さがあります。今まで素材の構成そのものは変わらずに、電気を通す回路になっていましたが、この先今までとは全く違うものが回路の主材料になっていったときが怖いです。なまじシェアが高いだけに。いわゆるイノベーションのジレンマというやつですね。それとFPCの材料は、昔はすごくニッチな材料だったのですが、どんどん広がっていき、スマートフォンに入るようになって、今やコモディティ化しました。海外勢との価格競争もとても激烈です。どうやって生き残っていくかというと、シーズ志向で常に新しい材料を高機能化して、売り込んでいくしかありません。でも過剰品質になったら、海外勢には価格で勝てないだろうし、どこまで生き残れるのかは常に心配です。もちろんそうならないように意識してやっていますが。

自分の市場を自分で壊していくわけですね?

藤田:性能も十分で安価なメーカーがたくさん出てきて、もう当社で作るものはなくなるくらいなら、究極の最先端のやつを開発した方がいいですね。またニッチな分野に入っていくのかもしれないし、その場合はまた新たな投資も必要になるわけですが、今の当社ならそれもやり切れると思っています。(終)

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